豊な史

文亨進師を文鮮明師の正式な正当な後継者とするサンクチュアリ(世界平和統一聖殿)の一員として日々感じたことを著して、問題提起をしたいと思います。

2022-01-01から1年間の記事一覧

永田さんの本「銃と平和」ができました。

皆様既にご存知かと思いますが、永田さんの本が出版されました。「銃と平和」です。やっと読み切りました。内容はとても素晴らしいものだと私は思います。 永田さんの文章はとてもわかりやすく日本人の心象にとってピタッとはまる絶妙な展開をしています。 …

サンクチュアリの道 仕事編その2

私は40歳で公務を辞めて一般の仕事に就きました。自営の運送屋を始めました。その中で一番大変だったのは自分の方向性をどうするかでした。運送屋を約10年、営業マンを約10年、その他の仕事も数年やって最後に警備員となりました。 その間に、家庭連合の公職…

永田さんの遺稿が本となるそうです。

これまで永田さんと歩んできた流れを語ってきました。 最後の方は中村仁史が中心になってまとめられた「成約時代の摂理的同時性の時代」(成約の同時性)をめぐっての論争が起こり、その論文の在り方に反対する署名運動を永田さんが広げていかれました。 その…

永田さんを失って感じるさまざまなこと。

永田さんは私との長い一日の話し合いの後、やがて生田さんの日本サンクへの疑問から出た騒動の中でその混乱を収拾するため日本サンクの規約の制定する責任者の位置に立たれました。 しかし、次第につくった規約の運用の仕方がされていくに従い、悩みが深くな…

サンクチュアリの道。仕事編。

今日は少し違う話題にしてみようかと思います。 永田さんの改革志向を取り上げてきましたが、サンクチュアリには家庭連合時代とは違うところがあってそういったほかの分野にも触れていければと考えています。 テネシー清平もそうですが、いろいろお金も必要…

最初の永田さんとのはっきりとした意見の違い。

永田さんとの最初の出会いは澤田地平さんの日本サンクの脱会の約1ヶ月後でした。 澤田さんから突然、電話が来て独立するにはどうすればいい?と聞かれてどうしたの?何があったの?ということで生田さんとも連絡して何かが起こっているなと思ったものです。 …

「戦友」から便りをいただきました。

永田さんの戦友という方からご連絡をいただきました。 私は同志という気持ちでしたが、まあ言ってみれば“戦友”という感じもあったかもしれません。 しかし、その言葉は私にとって胸が疼きます。 彼との思い出に感傷的になることはあまりないのですが、やはり…

永田さん、これからも一緒に歩みますよ。

永田正治さんとの最初の出会いの時、私たちの間で多くの意見が交わされました。 その後しばらく連絡を取り合うこともなく数ヶ月が経ちました。 私はこんにちまで独立系としてやってきましたし、彼も亡くなるまで日本サンクの所属でした。 そもそも最初の出会…

永田正治さんは親友であり同志と言える方でした。

さて第一回目の前回では永田正治さんについて彼の苦悶してきたことについて触れていくことにはさまざまな配慮もありますが、サンクチュアリ全体の成長を願う心を持ってエッセイ談議をしていくつもりだとか書きました。 一人の人間を語るとき、私が見て聞いて…

ブログを始めるにあたって。ご挨拶と永田正治さんについて。

このブログ名を「豊かな史(ふひと)の豊かなサンクチュアリエッセイ談議」としたいと思います。 豊かなふひと(史)とは聞きなれない言葉と思います。私の苗字は実は少し珍しい名前ですが、どうやら先祖は藤原氏のようでした。 姓氏家系大辞典という本で私の苗…