永田さん、これからも一緒に歩みますよ。
永田正治さんとの最初の出会いの時、私たちの間で多くの意見が交わされました。
その後しばらく連絡を取り合うこともなく数ヶ月が経ちました。
私はこんにちまで独立系としてやってきましたし、彼も亡くなるまで日本サンクの所属でした。
そもそも最初の出会いの時意見が噛み合わない点があり、道が異なりました。
そしてその後お亡くなりになるまで彼は独立系に強く惹かれていきました。
最後の電話での会話でもすぐにでも日本サンクを退会して独立系となることを言っておられました。しかし、私はその時点でも反対しました。
私にはもちろん彼が本当に独立したいのならば、大歓迎でした。
しかし瞬間的な感情の高ぶりからの発言では賛成できませんでした。
冷静さを取り戻し、本当によく考えた上で本心から納得して独立するのであれば私も納得して歓迎すると何度か申し上げました。
逆に彼が冷静な時、あるいは日本サンクの彼の思う改革に希望があった中でたまに弱音が出たときにかれに独立してみたらと揺さぶってみるといやここで頑張ると答えたものでした。
改革に燃えている時は独立は頭になくてそれが出来なくて悲憤慷慨をしているさなかでまるで勢いで独立を言っておられました。
その意味では彼は悩んで苦しんでいました。
しかし、彼には天性の明るさがあり、楽天的で朗らかで包容力のある快活な面を持っておられました。
そのような永田さんが好きでしたし、また尊敬もしていました。
時折見せるいや気が付かないままいつも持っていた優しさ、純粋さ、正義感は彼の文章力や行動力も含めて本当に活躍の期待したい方でした。
それゆえまた傷つきやすく、潔癖すぎるところもあったかもしれません。
もっと深く彼の純粋さ彼の心の深くに寄り添ってあげていたらと胸の痛みを感じます。
こんなに早く別れるとは思ってもみなかったのでやるせなさを感じてしまいます。
彼は独立系に大きな希望を感じておられました。
しかし、もし彼が日本サンクから出る決意を本気でするならばできる限り円満な退会を私は希望していました。
意見の違いはあれば独立もいいし、他のグループに行くこともよいというのは王様の方針です。
しかし、彼が本当に日本サンクから出るのが彼にとって良いのかよく吟味すべきと私は考えていました。
むしろ彼と会ってしばらくの間、というより去年の途中くらいまでは彼は日本サンクで頑張って行くことの方が彼にはいいのかなと思ってきました。
組織的なことが好きな人もいるし、そこで生きると感じる人はそれでいいということも王様も語っておられました。
隣の家の芝生は青く見えるということわざもあります。
勇気とか主体性とかの言葉だけではない居心地の良さというのは人にとって大事な要素です。
会社という組織に対してもオンリーワンとか成長性とか、差別化とか自己実現とか激しい限界の挑戦とか、の言葉も溢れていますが、安心、安定、定着、居場所とかという言葉も大切です。
挑戦にはそれとはまた逆のバランス感覚もなければ落とし穴に落ちるかもしれません。
彼はもう帰ってこないのですが、彼の魂は私の中に宿っています。
それは多分おいおい明らかになることでしょう。
永田さんにとってもっともよい道とはなんだったかという問いかけは私にとってもどのような道を行くのかというさらなる問いかけにつながっているとも感じられます。