豊な史

文亨進師を文鮮明師の正式な正当な後継者とするサンクチュアリ(世界平和統一聖殿)の一員として日々感じたことを著して、問題提起をしたいと思います。

永田正治さんは親友であり同志と言える方でした。

 さて第一回目の前回では永田正治さんについて彼の苦悶してきたことについて触れていくことにはさまざまな配慮もありますが、サンクチュアリ全体の成長を願う心を持ってエッセイ談議をしていくつもりだとか書きました。
 一人の人間を語るとき、私が見て聞いて触れてそれを語ればそれは私の主観が入るでしょうし、もちろん彼の全てを語れるはずもありません。
 永田さんとはさまざまな問題点を掘り下げ把握して、さまざまな意見を交わし合って刺激を受け、ともに少し離れていたものの近い道を歩み、ともに共通の方向性や目的地を共有してきました。
 その志は私の信念とも近くその意味で親友とも言えますが、同志のような気持ちを持っていました。
 それで彼は日本サンクの内部の改革に力を注ぎ、私はそれを個人的に応援するようかたちでいることが多かったのです。
 日本サンクの規約の問題のあと、生前最後に力を注いでいたのは中村さんが中心になってまとめられた成約時代の摂理的同時性の論文をめぐっての問題でした。
 しかし私が残念に思うのは意見の違う方々との論争が感情に流れすぎた印象がありました。
 彼の気持ちはよく受け止めたつもりでしたが、はやるその気持ちを冷静になってもらえるように必死でした。
 彼はそんな時、最終的には私のアドバイスをよく聞いてその気持ちをおさめてくださいました。
 もっとも最後には彼の思いが熱く私の胸に届き私も胸を彼の熱いたぎった想いが溢れてきました。
 彼になんとか治めてくださったかなと思いましたがまもなくその後話しもすることもできないまま病いに倒れ、帰らぬ人となっていかれました。
 それは残念なことですが、彼の功績は私は大きいと感じています。
 (それについではおいおいとふれていくつもりです。)
 日本サンクにとっても永田さんがいつも提起される問題点は葛藤を呼ぶものであったと思いますが、日本サンクとは異なるいわゆる独立系となっている者たちにとっても波紋を多少なりとももたらしました。
 独立系の者達にとって独立系となった経緯はそれぞれ違いますし、人は皆性格も育った環境も個性も違うように違う面があります。
 ですから深く交流する間柄もありますし、またほとんど知らない関係であったり、疎遠になった方々もおられます。
 永田さんは台風の如く、中村さんの論文を持ってそれに批判するメンバーを集っていかれました。その行動力は驚嘆しました。
 彼の肉体は去り霊の存在となりましたが、ある面私にとって彼が生きてきた時以上に独立系の方々とお近づきとなれました。
 それは正直彼のお陰かなと実感しているのです。私は彼の死後も彼と共に歩んで行くことでしょう。感謝しています。なぜならそれは二代王亨進師が目指されている方向にあると感じているからです。

 

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