豊な史

文亨進師を文鮮明師の正式な正当な後継者とするサンクチュアリ(世界平和統一聖殿)の一員として日々感じたことを著して、問題提起をしたいと思います。

永田さんを失って感じるさまざまなこと。

 永田さんは私との長い一日の話し合いの後、やがて生田さんの日本サンクへの疑問から出た騒動の中でその混乱を収拾するため日本サンクの規約の制定する責任者の位置に立たれました。
 しかし、次第につくった規約の運用の仕方がされていくに従い、悩みが深くなっていかれました。
 普段の信仰生活や組織活動を進める上で規約というのは必要ではなく、最小限の運用を想定していた彼の意識とは異なっていわば規約の方が一人歩きしていき、そうなっていった日本サンクには組織上の問題があると感じ始めたようです。(私は彼の話を聞くだけで実際がどうなのかはよくはわかりません。)
 しばらく経って私との交流も主にラインにて再開されて意見や感想が交換されていくようになりました。
 ただそこには他の幹部の方々との確執もあったようで私はそこはある程度理解しながらもある一定の距離を置きながらの交流でした。
 私はその頃、独立系の何人かの方々と山口聖殿の佐藤顕さんをまとめ役として毎週ラインで交流していました。
 やがてそこにオブザーバーのようにして永田さんも参加されるようになりました。
 永田さんは独立系の歩みや活動、意見交流といったものに強く惹かれるようになられたようです。
 私もその点は我が意を得たりというところもあって彼との交流を積極的に進めてサンクチュアリ全体の活性化の期待を託していました。
 永田さんのご意見が日本サンクの内部でどれくらい浸透していたのかどの程度の賛同する方々がおられるのか、永田さんからのお話では正直あまりよくわかりませんでした。
 しかし彼は私には力強く感じ、日本サンクの「改革」を私には語っておられました。
 私は彼のエネルギーが日本サンクと独立系を融和させ、将来には緩やかな連携が実現していきそうな予感さえしていました。
 しかし、一方では独立系はそれぞれの考えで活動していますのでそれぞれが自由に日本サンクとの距離を取ったりまた活動や交流を共にしたりしていました。
 これらを考えたり、あるいは将来を模索したりするのに私にとって永田さんとの会話はとても刺激を受けていました。
 本当に組織とは関係なく「信仰の友」と言える関係でした。
 彼が目指していたことや彼が心ならずも苦しんできたことなどは私なりにですが、これからも解決のお手伝いはしたいなと考えています。
 彼が抱えてきた例えば組織規約の問題などは私と彼との意見が近づくきっかけとなり結果的には私の考えに同調してくださることが増えてくる方向に傾きました。
 しかし同時にまた彼は大きな組織に魅力を感じるタイプなんだなあとも思いました。
 その組織の中の交流や所属は割と居心地が良かったのかもしれません。
 人は単純ではない、と思います。彼はとても純粋な方で信じたものが違っていけば傷が深くなります。
 自分の原則に忠実な私からすると彼は日本人の多くの人が同調する「村社会」におられる人のようにも感じます。
 そのことも含めて今は慕わしくそのままの彼の姿に懐かしさを感じます。
 革命的な志向性はそれ自体とても惹かれますが、実際に実行する過程においては理想のようにはいかないので緩やかな進行でないと傷ついたり、摩擦が生じたり、混乱が生じます。
 聖書にあるように、
 「新しい酒は新しい皮袋に」ですが、人の心が実際に伴わなくては「無理」が生じます。
 「ゆっくりと円滑に」は産み出す側にとっては産みの苦しみが増すかもしれませんが、産み出される側にとっては無難でもあります。
水が流れる如く滴り落ちてゆくそのようなもので時代も摂理も動いていくのかもしれません。(戦争や大恐慌は起きないできるだけ回避されるべきことです。覚悟は要りますが)
 抵抗する岩もやがて水の流れによって丸く削られ、時に濁流によって動かされます。(良きものが犠牲となることもあります)
 むごたらしい悲劇が個人においても世界においても家庭においても起こらないようにと願うばかりです。
 今世界はコロナワクチンもそうですが怒涛のようないわば反人類、反メシアの嵐が吹き荒れています。
 メシアである真の父と三代権にしっかりとつかまっていきたいと願います。
 ものすごい反発は収まってみれば急速な解決になることもあります。
 最後はそれに期待します。永田さんも大きな反発も呼びました。
 でもその素晴らしい一面は明らかになる時が来ると思います。