豊な史

文亨進師を文鮮明師の正式な正当な後継者とするサンクチュアリ(世界平和統一聖殿)の一員として日々感じたことを著して、問題提起をしたいと思います。

ブログを始めるにあたって。ご挨拶と永田正治さんについて。

 このブログ名を「豊かな史(ふひと)の豊かなサンクチュアリエッセイ談議」としたいと思います。
 豊かなふひと(史)とは聞きなれない言葉と思います。私の苗字は実は少し珍しい名前ですが、どうやら先祖は藤原氏のようでした。
 姓氏家系大辞典という本で私の苗字を見つけて先祖が藤原の出らしいとありました。藤原というと大化の改新でなの知られた鎌足が有名ですがその息子の不比等が追われて田辺史(ふひと)という人に預けられています。
 もともとふひとというのは役職の一つで朝廷から文書を扱う仕事をしてきた部署を名前としたようです。
 私の先祖は岡山の津山近くの久米郡ですが、田辺史の勢力は大阪の羽曳野市から柏原市のあたりでした。
 私は親の代からその羽曳野市に移り住んでいます。偶然の一致のようでいて実は先祖からの縁かもしれないとも思います。

 そこでブログ名にふひとを入れてまた子孫たちにはさまざまな意味で豊かな将来を望んで豊かな史(ふひと)としました。
 それはともかくこのブログではミクロのサンクチュアリ教会とそれに連結しているマクロの国内外の状況についてエッセイ風に綴って議論を先駆けとしたいと考えました。
 ところで私は以前「目指せ、怪傑黒頭巾」というブログをやっていました。ですから怪傑黒頭巾の続編としての豊かな史(ふひと)と考えていただいていいかなと思います。


 最初に取り上げるテーマは突然ですが、昨年9月亡くなられた永田正治さんの思い出やら彼をもっとも親しい友の一人としてきた者にとっての思いを語ってみたいと思います。
 彼の活躍された周辺の方々にとってさまざまな課題を突きつけられたこともあると理解していますので表現には制約やら忖度あるいは配慮といったようなものは必要に思いますが、故人の気持ちも当然よく考えて綴ってみたいと思います。
 それはある方から連絡をいただき、あの世から彼が訴えかけている思えるという切実な声もあり、それもまたきっかけとなりました。
 実は彼の考えも一貫しているところと変わっていったところもあります。

 そもそも永田正治さんと最初に会ったのは2017年の七月だったかと記憶しています。
 ですから4年半ほど前からの話になります。その頃丸一日ほど彼と語らい合い、意見や気持ちが合うことも多くありましたが、合わないところもあって結局少し道は分かれました。
 やがて彼は日本サンクの規約制定の委員会の委員長となって規約制定に大きな役割を果たしたことは周知のところとなっています。
 しかしその規約をめぐってのその後の動きに彼は忸怩たる思いを抱いくようになり、最終的にはその規約をなくしたいという気持ちを強く抱くようになりました。
 そのこと実はまだ議論の途中でもあったようですが、彼が亡くなられて議論自体立ち消えとなっているのかもしれません。
 そのことは日本サンクチュアリのことですから独立系の私としては直接の関係はないのかもしれません。
 しかし、サンクチュアリ全体として発展を願っているものとしては全く無関係とも無関心とも言うことはできません。
 永田さんとは友人としてまた彼のためだけでなくサンクチュアリの発展を願い、御心に叶う前進を果たすために思いつくままにまずはエッセイ談義をしてみたいと思います。

 

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