豊な史

文亨進師を文鮮明師の正式な正当な後継者とするサンクチュアリ(世界平和統一聖殿)の一員として日々感じたことを著して、問題提起をしたいと思います。

最初の永田さんとのはっきりとした意見の違い。

 永田さんとの最初の出会いは澤田地平さんの日本サンクの脱会の約1ヶ月後でした。
 澤田さんから突然、電話が来て独立するにはどうすればいい?と聞かれてどうしたの?何があったの?ということで生田さんとも連絡して何かが起こっているなと思ったものです。
 それから永田さんとも連絡を取り合って逆に独立系というかサイバーサンクチュアリの経緯を知りたいとのことで東京までお会いしに行きました。
 その件は前にも触れましたが、その時話が合わないと思ったことがあってそのことははっきりと覚えています。
 というのはそのことを何度も彼に話してその議論の食い違いを考えて欲しかったからです。
 もっとも彼はその時のことをあまりはっきりとは覚えていないようでしたが。
 いろんな問題や課題を出したり語り合ったりしてこれからどのような組織体制を望むかという話になったのだろうと思います。
 彼は「日本にはエジプトである日本から荒野を乗り越えてカナンに導く強く雄々しいモーセのような指導者が必要であり、その元にある12支派、72門徒のような緻密な組織がなければならない」と語りました。
 なぜなら「世界を見ても摂理を進める上で経済も人材も日本以外に輩出できる国はない、それには強力な指導力が必要だ」と確信を持って言いました。
 私は「いや今の時代では二代王が語られるように中央集権的ではなく組織は分権化して緩やかな連合体を目指さなければ深刻なズレができていくだろう。真に信仰的な組織は二代王のみ言葉の通りを目指すことが必要だ」と譲りません。それに対して永田さんは
 「そんなことをすれば日本も摂理もダメになる。もし日本が分権的な方向に進めば力が分散されて実績は出ないだろう。
 日本が実績を出さなければ世界の摂理を支えられない。」
 私は「いや緩やかな連合体を目指せば今すぐの実績はたとえ十分でないかもしれない。しかし、やがて二代王が望まれる本物の組織となり本物の実績が出されていくに違いない、」
 といった感じの会話が続きましたが、私の意見は彼に対して説得力がないなと実感しました。
 というのも当時私は私の未熟さのゆえもあって日本サンクと並んで二代王様から祝祷を受けて出発した独立系の出発地サイバーサンクチュアリを受け継いで会長となってしばらくして意見の違いから分裂させてしまったその張本人でした。つまり私の見解は現実離れと受け止められても仕方ないと思い知りました。
 ですから現実は彼の言っていることが当たっているというかそのような分析も当時は妥当とも思われてしまうなと感じました。
 私は人から指摘されて悔しくて今に見てろと思ったことのほとんどない人間でしたが、この時は必ず王様のみ言葉が実現させるようにしてみせると深く思ったものでした。
 この思いは私の”独立系"として自覚がはっきりと生まれた瞬間でもありました。

 そこから私にとっては今に至るまでの苦闘がありました。当時は永田さんは私にとってぶち当たった「壁」でもありました。